坩堝シンジケートの隠れ蓑

「三人揃えば文殊の知恵」の反例として存在する今日この頃です(すぐ倍に増えたけど)。何をする訳でもなく、徒然なるままに色々やっていこうと思います。

フタバのポケモン回顧録(第三世代) 1.さいしょからはじめる

 

 ……皆さんお手元の時計をご覧ください。

 今何時ですか? こんな記事をご覧になっている人たちのことですから、ひょっとして朝日が昇る時間になっていたりしてませんか?

 そんな意味も込めておはこんばんちは。ドーモ、読者の皆サン、坩堝シンジケートの律速酵素ことフタバです。

 この企画では、私フタバが「ポケットモンスター オメガルビー』を遅ればせながらプレイし、幼き頃遊んだ『ポケットモンスター サファイア』の記憶を思い起こしながら、その差異を綴ってみよう! という企画になってます。

 いつもなら坩堝シンジケートのCEO(チョーエゴイストなおっさん)であるシモゴエがブログの文章を担当しており、この企画の文章もこのろくでなしに丸投げするつもりでした。

 しかし、

 

①プレイ記録の内容を、シモゴエに伝えるのが大変

②プレイヤーと記者が別人だと、遊んでから記事に起こすまでに時間がかかる

③そもそも、私のプレイ時の心の機微を、人面獣心のシモゴエが綴るのは難しい

 

 これらの諸事情により、「こいつは自分で書いた方が早いぞ」という結論に至った訳です。

 ホントは坩堝シンジケートの皆で私のプレイにチャチャを入れ、その会話をこのブログにベタ打ちしようという計画もありました。しかし、そこは流石の吹き溜まり。体内時計の狂った輩が一定数おり、さながら互いの時間軸がサン・ムーンに分かれてるような状態のため、雁首揃えることすら難しいという体たらくです。ポケルスも避けて通る逆6V集団として、今日も今日とて汚名バッジの収集に余念がありません。

 ということで、次回から『ポケモン回顧録』と称して思い出を語りつつ、オメガルビープレイの感想を綴っていきます。なお、私はしっぽ狩りにあった某ポケモンや、背中に火山を生やしたやべーポケモンと同じ「とくせい:マイペース」を持っているので、更新は不定期になると思います。

 さぁ、自分と皆様(あと坩堝シンジケートのならず者共)に予防線を張ったところで、フタバのポケモン回顧録、イクゾーデッデッデデデデ(カーン)

 

 (文責・フタバ 検閲・シモゴエ)

つくって魔具魔具 幸せの竹とんぼ(3)

 

 

4.竹とんぼの昇天

 

 

シモゴエ

 第2章では、竹の持つ魔術的意味について話したよね。でも、そこから竹とんぼに邪気払いの効果を付与するのは難しかった。

 第3章では、竹とんぼの挙動が竹の挙動と似ていることから、そこに含まれる縁起の良さなんかを共有させたよね。でも、こちらも魔除けへと至ることはなかった。

 しかしだね。竹とんぼが竹から出来ていることと、竹とんぼが空に向かって飛翔することは、あるダイナミックな理論を使えば、邪気払いや魔除けにこじつけられるんだ。

 そのために、今一度さっきの『類似の魔力』論法を使うよ。

 

フタバ

 姿形が似れば効果も似るってやつでしょ?

 

シモゴエ

 そうだよ。

 実はね、竹とんぼには竹以上に似ているものがあるんだ。

 それについて語る前に、フタバくん。君は『竹取物語』って知ってるかい?

 

フタバ

 光る竹から見つかったかぐや姫が、桁外れの速さで美しい大人のお姉さんになり、お偉いさん方から求婚されるのを千切っては投げていたけど、月から身元引受人が来たため何やかんやあって帰ってしまう。

 確か、こんな話だったよね?

 

シモゴエ

 じゃあ、その身元引受人が何と言ってかぐや姫を連れて帰ったのか、知っているかい?

 

フタバ

 そうだなあ。確か「こんなきったないところ流刑地以上の価値ないよね(意訳)」とかじゃなかったかな。

 

シモゴエ

 そうだね。彼らにとって地上というのは汚い場所だった。それはつまり、彼らの住む月というのは清浄な場所ということだ。

 

フタバ

 えー、そうかな。クレーターで凸凹してるし、そこまで綺麗だとは思えないけど。

 

シモゴエ

 昔の人はそれを月の兎と呼んで愛でたんだから無問題だよ。

 ところでさ、フタバくん。どうして竹取物語の作者は地上を汚いものとして、月を清浄なものとして描いたんだろう。

 

フタバ

 え? うーん、やっぱりパッと見で月が綺麗だったからじゃないかなあ。金色に輝いているし、満ち欠けして趣もあるし。

 

シモゴエ

 もちろん、それもあるだろうね。でも、僕は思うんだよ。月が清浄だと描かれたのは、それが人の手の届かない空にあるからじゃないかと。

 

フタバ

 うん? どういうこと?

 

シモゴエ

 科学の発達した現在とは違い、昔の空は人々が入り込めない未知の領域だったんだ。それは同時に、人の手で汚すことのできないということも示している。天に向かって唾を吐いても、汚れるのは自分の顔であるようにね。

 一方で、地上はどうか。そりゃあ、豊かな緑や煌びやかな都はあったかもしれない。でも、同時に汚いものもごまんとあった。排泄物も血も死体も、零れるのは地上だよ。人が生活を営めるということは、散々に汚すこともできるということなんだ。

 

フタバ

 なるほど、つまり竹取物語において月が清浄だと描かれているのは、それの存在する空という領域が、そもそも清浄だったから。シモゴエさん的にはそう言いたい訳だね?

 

シモゴエ

 そうだよ。汚れていない清らかな状態。厄も魔も付け入る隙のない、まっさらな状態。そんな清浄さを、空と月は宿しているんだよ。

 

フタバ

 なるほどね。

 でもさ、そういうことが竹取物語から読み取れるんだとして、それって今回の竹とんぼと関係あるの? その、竹とんぼと何が似ているかということとさ。

 

シモゴエ

 大ありだよ。

 考えてみて、フタバくん。竹取物語の中で、かぐや姫は月の使者に連れられて空に昇っていった。彼女は一体、何から生まれただろう。

 

フタバ

 え? いや、竹でしょ。

 

シモゴエ

 そう。竹から生まれたかぐや姫が、清浄な月に昇っていく。この様子を見て、何か思い出すものはないかい?

 

フタバ

 ……なるほど。竹から生まれたものが、月を含む天に向かって飛翔する。確かに、似ているね。

 竹とんぼに。

 

シモゴエ

 その通り。竹とんぼは竹以上に、物語最後のかぐや姫に似ているのさ。その動きも、竹から生まれたという要素もね。

 ここでさっきの竹とんぼと竹の関係を思い出そう。これらは姿や動きが似ているから、効果も共有することができた。

 じゃあ、昇天するかぐや姫にはどんな効果が含まれているのか。それを知るために、彼女があの場面で何をしたのか考えてみよう。

 

フタバ

 確か……天の羽衣を着たんだっけ。そして、悲しみも悩みも消え去った。

 

シモゴエ

 そうだね。そして、この現象はとても重要なことだ。なぜなら苦悩を抱えていれば、月に帰れないからね。作中でも彼女はお爺さんとお婆さんを見捨てることについて、「空から落ちてしまいそうな気持になる」と言っている。そういう感情を持たないことと、空に昇っていくことはセットなんだよ。

 つまり、あの時。苦悩が消え去り、昇天していく時に、かぐや姫は地球ではなく月の住民になったんだ。苦悩のない清浄な世界に属したんだね。

 

フタバ

 じゃあ、そんなかぐや姫と似ている竹とんぼは……?

 

シモゴエ

 竹とんぼが空を飛ぶ。空を飛べるということは、苦悩を抱えていないということ。であればこそ、汚れた地上から解き放たれ、清浄な月へと至る。

 かぐや姫の月の民としての権能が、竹とんぼと共有されるんだ。

 さて、ここで最初の疑問に戻ってみよう。どのようにして、竹とんぼが邪気を払うのか。

 

フタバ

 なるほど、竹とんぼが月の民の権能を持つとすれば、そこに厄は寄り付かない。何故なら彼の住む地は清浄だからだ。

 それこそが、邪気払いなんだね。

 

シモゴエ

 その通り。

 竹とんぼは出生と挙動をもって、かぐや姫を模す。そして、あらゆる汚れを寄せ付けない、清浄のオカルトグッズへと至る。

 いやはや、作ってしまったね。魔法道具を。これはもう言わねばならないね。

 

フタバ

 そうだねシモゴエさん。

 

シモゴエフタバ

 つくって魔具魔具!

 

 

5.終わりに

 

シモゴエ

 ふう、どうにかこうにか竹とんぼを魔除けの道具に変えられたね。よしよし、じゃあ社会の混乱に乗じて高値で売り飛ばそうか。メ〇カリあたりに出品しよう。

 

フタバ

 えー、待ってよシモゴエさん。この記事の趣旨はオカルトグッズで国難を乗り切ることでしょ? 私腹を肥やす必要ある?

 

シモゴエ

 仕方ないじゃないかフタバくん。僕は地球生まれ地球育ちだよ? 身も心も穢土の化身なんだから、そりゃあ欲の皮も突っ張るってもんだよ。

 

フタバ

 罪深いなあ。でも、ただの竹トンボじゃ誰も買わないよ? 今垂れ流した詭弁を説明書きとして添えるの?

 

シモゴエ

 そうだね、それがいい。あとは箔をつけるために、特別な原料を使っているということにもしておこう。

 ……だけど、僕のアクロバティックなこじつけが、一体どれほどの人に伝わるんだろう。ちょっと不安だから、知り合いで試してみようか。

 

フタバ

 試すって? 説明書きを見せるってこと?

 

シモゴエ

 うん。そしてあわよくば買わせる。

 あ、ちょうどいいところにキキくんが転がってるね。呼んでみよう。おーい、キキくーん。

 

キキ

 お呼びですかー。

 

シモゴエ

 キキくん。突然だけど君、幸せになりたくなーい? もしそうなら、僕の作った効果抜群神武以来残虐非道開運グッズがあるんだけどさ。どう? 身銭を切ってみない?

 

キキ

 うーん、でもなー。一昨日も清水の舞台から飛び降りて二十針縫ったばかりだしなあ。

 

シモゴエ

 大丈夫大丈夫。不幸の前借りだと思って、いっちょ蛮勇を振るってみようよ。

 

キキ

 そこまで言われると心動いちゃう。じゃあその商品を見せてくれよ。

 

シモゴエ

 いいよ。その前にこのブログの記事を読んでね。

 

キキ

 ふむふむ、なるほど。竹とんぼってかぐや姫だったんだ。

 

シモゴエ

 戦艦も軍艦も織田信長も女体化する時代だからね。竹とんぼだって女になるさ。

 で、どうだい? この勇気凛々天地開闢興味津々意気揚々厄払いグッズ、今なら所持金の半分で買わせてあげるよ。

 

キキ

 うーん、でも気になることがあるんだよなあ。

 

シモゴエ

 気にならないよ。

 

キキ

 気になるっつってんだろ。

 竹とんぼはかぐや姫なんでしょ? だったら、邪気が寄り付かないのは竹とんぼにであって、飛ばす側ではないんじゃない?

 

フタバ

 え? どういうこと?

 

キキ

 だって、空を飛ぶのは竹とんぼで、飛ばす側は依然として地に足着いてるじゃないの。かぐや姫を送り出したお爺さんとお婆さんの立場だよ。

 

フタバ

 ああ、言われてみれば確かにそうだ。月の民の権能があるのは竹とんぼで、僕たちじゃない。汚い地上から解き放たれてないから、魔は付け込み放題だ。

 シモゴエさん、どうしよう。インチキ商法が前途多難だよ。

 シモゴエさん? あれ、シモゴエさん?

 

フタバキキ

死んでる……。

 

シモゴエだったもの

 皆は持論の穴を指摘されても舌は噛み切らないようにしようね!

 

 

 

 

(文責・故シモゴエ)

つくって魔具魔具 幸せの竹とんぼ(2)

 

 

3.類似の魔力

 

 

シモゴエ

 思い出してごらん、フタバくん。竹に魔術的意味が含まれる理由は、空洞と爆音以外に何があったかな。

 

フタバ

 ええっと、上に向かってぐんぐん伸びることかな? その常識はずれな成長具合に、人々は縁起の良さを見出したんだっけ。

 

シモゴエ

 その通り。竹は上に向かって伸びることでも、特別な意味を獲得しうるんだ。

 さて、ここで一度考えてみよう。竹とんぼはどうやって遊ぶ玩具かな?

 

フタバ

 決まっているじゃない。プロペラみたく回して飛ばすんだよ。

 

シモゴエ

 そうだね。じゃあさらに考えてみよう。翼を回転させた竹とんぼは、どこを目指して飛ぶだろうか。

 

フタバ

 そりゃあ空だよ。上に向いて飛ぶのさ。

 

シモゴエ

 大正解。竹とんぼは空を目指して羽ばたく玩具なんだ。

 この動き、竹が空に向かって伸びる姿を彷彿とさせないかい?

 

フタバ

 ええ? うーん、まあどちらも空目掛けて高度を上げてはいるね。でも、彷彿とさせるから何だっていうの? 意味があるの?

 

シモゴエ

 大ありだよ。オカルトの世界ではね、姿が似ているということは、きわめて重要な意味を持つんだ。

 フタバくんは漫画とかで見たことない? 吸血鬼が十字架を見て弱っている姿とかさ。

 

フタバ

 あー、あるね。にんにくを食べさせられたり、おてんこぶつけられたり、身体に人狼の生首入れられたりして弱っているのと同じぐらいの比率であるね。やっぱり十字架には聖なる力があるんだろうね。

 

シモゴエ

 じゃあ、どうして十字架に聖なる力があるのか。元を辿れば、イエス・キリスト磔刑に行き着くね。このはりつけに使われた刑具が十字架だったことから、転じてこの形状にはイエスの神性が宿ると考えられているんだ。

 つまりだね。十字架が神聖だと見なされるのは、極端なことを言ってしまえば、イエスがはりつけにされた刑具に姿形が似ているからなんだよ。

 これと同じようなことは呪いにも言える。例えば丑の刻参りで使われる藁人形なんかがそうだ。人を模したものに釘を打ちつけることで、同じく人である憎い相手へ呪いを吹っ掛けるという感じだね。

 

フタバ

 なるほどね。

 竹とんぼは上を向いて飛ぶという挙動が、竹の力強く伸びる姿に似ている。だから、竹と同じようなオカルトチックな意味、すなわち成長力にまつわる縁起の良さを持つということなんだね。

 

シモゴエ

 そうだよ。空に舞う竹は全て縁起物なのさ。だからテッカグヤも縁起物だよ。

 

フタバ

 うーん、でもなあ。

 

シモゴエ

 どうしたんだい、フタバくん。納得いかないことがおあり? 許せないんだけど。

 

フタバ

 他者の意見を尊重する姿勢を少しずつ養っていこうね。

 とにかく、ちょっと引っかかるところがあるんだ。シモゴエさんは最初、竹とんぼには邪気を払うのにうってつけの要素が備わっているって言ってたでしょ。でも、今回の話を聞く限りだとさ。竹とんぼって、成長をもたらしてくれる効能はあるけど、魔除けや厄払いの力はないように感じちゃうんだよね。

 

シモゴエ

 なるほど、確かにそうだ。

 でも、安心してフタバくん。今までの説明はまだウォームアップに過ぎないんだ。今この瞬間からが、シモゴエさんによる常軌を逸した屁理屈の時間だよ。

 竹とんぼが竹からできていること。竹とんぼが空を飛ぶこと。素材と挙動をこねくり回して、力づくで邪気払いにこじつけてやるから、覚悟しておいてよね。

 

フタバ

 え、まだ続くの?

 

シモゴエ

 不幸にもね。

 

続く

 

(文責・シモゴエ)

つくって魔具魔具 幸せの竹とんぼ(1)

 

 

 

登場人物紹介

 

シモゴエ

 

 この記事の制作者であり進行役だよ。ウィキペディアからの引用に始まり剽窃や孫引き、果ては短絡的なこじつけを駆使して、良い子の皆のためにオカルトグッズを作ってくれるよ。ものづくりを心から愛しているけど、両親が自分を作ったことに対しては否定的なんだって。

 

フタバ

 

 シモゴエの助手で驚き役だよ。グラップラー刃牙でいう加藤みたいなポジションだと言えばわかりやすいかもしれないね。ただ本人のお気に入りはスペックらしいよ。彼にとってオカルトグッズの使用はむしろ相手を気遣ってることなのかもね。

 

キキ

 

 置き物だよ。

 

[つくって魔具魔具 完全オリジナルOP]

 

 

♪ひゅるるるるるる~(宇宙を思わせる小気味よい音)

 

♪きしゅつの アイディア

♪いやしく ちょーだい

♪ぬすんでまぐまぐ ぱくってまぐまぐ

♪くすねてまぐまぐ つくってまぐまぐ

 

 

『第1回 幸せの竹とんぼ』

 

1.初めに

 

 

シモゴエ

 いやはや、末法の世だねフタバくん。一切皆苦とはよく言うけども、まさかここまで様々なことが不味い方向に転がるとは想像しなかったよ。このまま社会不適合者と生きていても、先に社会のほうが滅びるから別にいいんじゃないかと思えてくるよね。

 

フタバ

 世界の危機にこれ幸いと自分を甘やかすのは駄目だよシモゴエさん。生きとし生ける者は誰もシモゴエさんとの共倒れなんか望んでないよー。

 

シモゴエ

 あらら、これは手厳しいね。よし、それじゃあここは一つ、何かめでたいオカルトグッズを拵えようじゃないか。この工作が安国への布石となれば、いずれ政府から多額の謝金が振り込まれるかもしれないからね。

 

フタバ

 わーい。シモゴエさんが根拠のない自信をみなぎらせて、捕らぬ狸の皮算用を始めたぞー。こうなったら誰も彼を止められないんだ。町内の人からの冷たい視線以外は。

 ところで、そのめでたいオカルトグッズってどんなものなの?

 

シモゴエ

 それはねえ、これだよ。

 

フタバ

 なにコレ? ただの小汚い竹とんぼじゃない! こんなの作りたくないよーだ!

 

シモゴエ

 ご挨拶だなあ。でも、この竹とんぼに審判を下すのは、僕の舌先三寸を喰らってからでも遅くはないと思うよ。

 

フタバ

 いやしくも教育番組から着想を得た記事なんだから、言いくるめることを前提に話を進めないでほしいな。

 

シモゴエ

 嘘を嘘だと見抜ける人じゃないとネットを使うのは難しいからね。メディアリテラシーを鍛えるという意味なら、十二分に教育的だと言えるんじゃないかな。

 

フタバ

 出まかせばかりが口をつくんだから。まあ仕方ない。ここは僕が大人になろう。とにかく、シモゴエさんの話を聞けば、この竹とんぼがどんなオカルト的効能を持っているか分かるってことだね?

 

シモゴエ

 そうだよ。この竹とんぼは素材といい挙動といい、邪気を払うにはうってつけの要素を備えているんだ。フタバくんも僕の妄言を通して、竹とんぼがどのような魔術的意味を持ちうるのか、理解を深めてほしいな。

 

フタバ

 ふーん、素材と挙動かあ。それら諸要素の全てに意味があるんだねえ。あ、もしかして竹とんぼが薄汚れていることにも?

 

シモゴエ

 それは僕の耳垢だよ。耳かきがどこにもなかったんでね。

 

 

2.竹ってなーに

 

 

シモゴエ

 突然だけど、フタバくんは竹という植物をご存知かな?

 

フタバ

 初っ端からなめ腐ってくれるじゃないか。もちろん知っているよ。背ばかり高くて中身空っぽのシモゴエさんみたいな植物のことでしょう?

 

シモゴエ

 人の身体的特徴をあげつらうなんて悪い子だな。今度帰りの会で尻毛まで禿げ上がるほど弾劾してやるから覚悟しておいてね。

 それはそうと、竹に関しては大正解だよ。仰る通り、この植物はぐんぐん伸びて中は空洞という、ちょっと不思議な特徴を持っているよ。

 そして、この特徴にこそ魔術的意味が含まれているんだ。

 

フタバ

 ええ、そうなの?

 

シモゴエ

 古来より日本では、空洞にこそ神が宿ると考えられていたんだ。スペースがあるということは、何か神々しいものが入り込む余地があるということだと、当時の人々は見なしたのかもしれないね。ここで空白には嫌なものが溜まると考えだせば『魍魎の匣』の久保竣公まっしぐらだから気を付けよう。

 ところで、フタバくんは『かぐや姫』って知ってるかな。

 

フタバ

 有名だよね。地球育ちの月の民でしょう。ドラゴンボールカカロットと経歴が似ているよね。

 

シモゴエ

 そうだよ。この実質サイヤ人かぐや姫が竹から生まれたのも、空洞には神秘が宿るという思想に端を発すると、僕なんかは勝手に推測しているんだ。

 虚空を含む自然物。外から窺い知ることのできない内部に、昔の人が光輝く姫君を想像するのもおかしくないだろう。僕もいまだに勉強机の閉じた引き出しの向こうに、タイムマシーンを幻視することがあるしね。

 

フタバ

 シモゴエさんの例は防衛機制でいう『退行』に属すると思うけど、まあそれに関してはカウンセラーの方に押し付けよう。とにかく、竹は神秘が宿るような植物ということだね。何故なら、そこに空洞があるから。

 ところで、竹には他にぐんぐん伸びるって特徴があったよね。これにも魔術的意味が含まれているの?

 

シモゴエ

 そのとおり。どうしたんだいフタバくん、今日はやけに慧眼が光るじゃないか。君はゴロリ枠なんだから、もっと死んだ魚のような目で愚鈍極まってもらわないと困るよ。

 

フタバ

 ぶっ殺すぞ。じゃあどんな意味が含まれているのかな。

 

シモゴエ

 竹は寒い時期でも色褪せず、まっすぐ上に向かって伸びることから、成長力なんかの縁起物として親しまれているよ。あと殺されてたまるか。

 

フタバ

 じゃあ、竹の示す魔術的意味っていうのは、神秘性と成長力ってことでいいのかな。

 

シモゴエ

 他にも竹の破裂音には魔除けの力があるとされているよ。国内では熱した青竹の破裂音で邪気を払う『鬼の目はしらかし』という行事があるんだけど、こうして割れた竹を玄関に飾ると厄除けになると言われているんだ。中国の祭りで爆竹が鳴らされるのも、魔を追い払うためだよ。

 このように、火をつけるとパチパチ爆ぜるという性質から、竹には悪いものを退ける力があると昔から信じられてきたと分かるね。

 

フタバ

 じゃあ、こうした竹から作られた『竹とんぼ』には、魔除けの力をはじめとして、ありがたい効能が含まれているということ?

 

シモゴエ

 うーん、でも残念ながら話はそう単純じゃないんだよ。頭頂部から双子葉類が生えているフタバくんには分からないだろうけどね。

 

フタバ

 遠まわしに人の頭を花畑一歩手前と称さないでよ。出るとこ出ちゃうよ。

 まあそんな怒りは訴状と共に胸にしまっておいて、理由を聞かせてシモゴエさん。どうして竹とんぼに魔除けの力は宿らないの?

 

シモゴエ

 さっきの理屈でいくと、竹が厄払いの性質を帯びるのは、火を点けて鳴らした時なんだ。音が不可欠なんだよ。でも竹とんぼは飛ばして遊ぶもので、楽器じゃない。だから爆竹のような効能を見出すのは難しいんだよ。

 同じような理由で、神秘が宿るという性質も認められない。竹とんぼは空洞じゃないからね。もしも竹で作った水鉄砲とかなら、空洞に入り込んだ水に神秘を帯びさせるとか、いかようにもこじつけられるんだろうけどさ。

 

フタバ

 ええ……。じゃあこの竹とんぼは単に耳垢のついた汚物ってこと? いよいよもって救いがたいよ。時間返して。その命も神に返して。

 

シモゴエ

 まあ待つんだフタバくん。僕がそんな結論のために、長々と君と読者を付き合わせたと思うかい? 君はともかくとして、読者の方々には貴重な時間を割いていただいているんだ。彼らの大切な時をドブに叩き込むのは、特に良心が痛むわけでもないけど、あとでSNSとかで報復されるのは怖い。そんな危ない橋を渡る訳ないじゃないか。

 僕の詭弁にはまだ続きがあるんだよ。

 

続く

 

(文責・シモゴエ)

 

 

ブルーギル、お前だったのか。

新たな構成員が加入しました

 皆さんこんにちは、坩堝シンジケートです。
 この度、弊吹き溜まりに新たなメンバーが加入しました。あからさまな泥舟に乗り込んできているあたり、前世は老婆を殺した畜生狸と思われます。
 以下、人物紹介です。

ブルーギル

好きなもの​  イラスト
性格​​     躁鬱
プロフィール
 日本生まれ日本育ちの特定外来生物ブルーギルと6Vメタモンの間に生まれたものの、性格が「そううつ」であるため草むらに逃がされた。覚えている技は「スケッチ」だけだが、坩堝シンジケートの人材は全員「わるあがき」しか習得しておらず、機を見てトレジャーガウストの世界に入ろうと考えている。
 見聞を広めるためにアイドルとなることを決意。意気揚々と上京したら市役所職員にデュエルで捕獲された過去を持つ。以来、マイナーポケモンが迫害されない世界を作るために国家転覆を画策中。手始めにウズマジン知名度を上げようと奔走している。


 未来ある若者の人生が狂うのを見るのは忍びないですが、これもきっと前世の業。やはりお婆さんの煮汁をクックパッドに投稿したのはやりすぎだったのでしょう。今生はもう駄目でしょうが、ブルーギルくんには来世こそ幸せになってもらいたいですね。
 ひとまず彼には徳を積んでもらうという名目で、イラストなんかを担当してもらおうと思います。ですので、もし時間が経っても弊吹き溜まりのブログが文字ばかりで変わらなければ、彼は再び兎さんか外来生物法に虐げられていると考えてください。
 では、そろそろ私も村の若者が捕ったウナギを逃がす作業に戻らねばならないので、ここいらで筆を置かせていただきます。
 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

(文責・シモゴエ)

つくって魔具魔具 立志編

 子どもの頃の夢は「工作員」だった。
 別に、他国に潜り経済を傾けることに憧れていたわけではない。単純に言葉の意味を知らなかったのだ。幼き日の私はただ、「工作」という単語に惹かれていたに過ぎない。
 今でこそ糞尿しか生み出さない私だが、子供の頃は図画工作が大好きなクリエイティブ極まる少年だった。自分の作ったオリジナル玩具を保母さんに見せ、褒めてもらうことが喜びだった(ちなみに学友に見せることはなかった。子どもは保母さんと違いおべんちゃらが言えないからだ)。図書館に行けば「たのしい工作」だとか「工作図鑑」だとかに飛びつき、技術を仕入れては家で素材を集めて実践を繰り返した。
 果てのない創造の道。そこに足を踏み入れるきっかけとなったのが『つくってワクワク』という番組だった。NHKで放送されていた『つくってあそぼ』を短く編集したもので、分厚い眼鏡のワクワクさんが目に光のない熊のゴロリに工作の喜びを教えるという内容なのだが、私は彼らが身近なものを組み合わせてイカした玩具を生み出す様を見て、この上なく心を高ぶらせた。この技術さえあれば、親に玩具をせがまずとも娯楽を手にすることができる。年端もいかぬ幼子にとって、ブラウン管の画面越しに創造の御業を披露するワクワクさんは、人類に火を与えたプロメテウスの如しだった。
 まるで託宣のように、NHKへとチャンネルを合わせる日々。その中でも、私が特に印象に残っているのは「ストローロケット」だった。竹ひごに洗濯ばさみを固定することで発射台を作り、そこからロケットの形をしたストローを放つという玩具だ。
 まさに衝撃であった。当時の私にとって、洗濯ばさみとは物を挟むためだけのものだったからだ。それなのに、このストローロケットはどうか。洗濯物を干すために備えられたC字型のばねを、ストローを弾くために使ったではないか。
 私はその瞬間、世に存在するものは無限の可能性を秘めているのだと感じた。森羅万象の多くは機能を持つ。その機能は大体において、一つの目的を達成するためだけに備え付けられたものだ。洗濯ばさみが物を挟むという目的のため、あのワニのような口と素晴らしい弾性を秘めたばねを与えられたように。
 だが、そんなことは関係ないのだ。それが何のためにあるのかを考えるのは大切だ。しかし、それによって想像と創造の翼を畳む必要はない。目的のために存在する機能を駆使して、創造主も予想していなかったような新たな価値を生み出してもいい。ワクワクさんはゴロリとの掛け合いを通して、私にそう語り掛けたのである。

 一の事物に万の意味、その面白さの虜になった私が、図画工作と同時にはまっていったのが『オカルト』であった。
 発端は、図書館で出会った『地獄堂霊界通信』という児童書だった。香月日輪先生が書いたこの傑作小説は、小学五年生の悪ガキ三人組が魔法を引っ提げて怪異とぶつかっていくというストーリーなのだが、これがまあ衝撃だった。どの部分が衝撃だったかと言えば、魔法が異世界ではなく日常に存在するということだ。当時の私はテレビで『ハリー・ポッター』シリーズなんかを見ていたが、あそこに登場する魔法というのはホグワーツをはじめとする特殊な空間でのみ発揮されるものに映った。不思議なものは不思議なところにしか登場しない。それはそれで面白いのだが、想像力の欠けた自分にとって、異国で光を放つ杖というのは、どうも遠い存在に感じたのである。
 しかし、この地獄堂霊界通信シリーズではどうか。舞台は現代日本のありふれた町であるにもかかわらず、まるで電柱の影にでも潜むように、幽霊やら呪札やらが日常に紛れ込むのだ。死神が居座ったせいで魔窟と化した、どこにでもありそうな病院の一室。成分不明の飴玉を食って異形となった、普通の子犬。きっかけこそ特殊だが、普通のものに普通でない意味がねじ込まれる様子は、見ていて胸が躍った。
 日常に潜む非日常。それがオカルトの本質なのだと思う。目で見たり手で触れたりできない、科学的な説明の不可能な力学を、自分の生きている世界の中から感じ取る。盛り塩、テルテル坊主、十字架etc。素材こそ現実のありふれたものでも、そこにまつわる逸話や文化的背景によって、膨大な機能を付随されるのである。
 このオカルトの在り方は、子供の頃の私にとって魅力的に映った。それは工作のもたらす喜びに似ていた。既存のものに新たな価値を見出す。洗濯ばさみに発射台の機能を見出すように、塩化ナトリウムに魔除けの効果を見出す。一の事物に万の意味、とても面白い。

 さて、時は流れて現在である。ワクワクさんもバラエティーに出て人間宣言を進める中、私は他人に与えられた既存の娯楽を、ただ享受するだけの豚の如き日々を過ごしていた。もはや洗濯ばさみは洗濯ばさみにしか見えない。何たる堕落。
 そんな生ける屍と化した私であったが、幸運にも似たような社会不適合者が近隣に二人ほどいたので、坩堝シンジケートとして徒党を組んだ。ろくでなしほど集団に属すれば気が大きくなるらしく、生産性とは無縁の組織に籍を置いたことで、私の体には数年ぶりの活力が湧いてきた。そして、止せばいいのに何やらクリエイティブなことがしたくなったのだ。
 しかし、根が穀潰しである。享受してばかりの人生を送ってきた私には、無から有を生み出す力などない。ならば手持ちの札で勝負するしかない。今までの無為な人生の中に、手違いで光るものが紛れ込んではいないか。そうして記憶のドブ攫いをする道中、文頭のようなことを思い出した次第である。
 図画工作とオカルト。この二つを活かして何かできないか。そして、私は一つの結論を導き出した。
 そうだ、魔術用品を作ろう。
 こうして私は、生来の無鉄砲と無計画にモノを言わせて、オリジナルのオカルトグッズを作ることにした。幸いにも『とある魔術の禁書目録』や『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』を履修しているので、剽窃するアイデアには事欠かない。あわよくばプラシーボ効果で一人幸せになりたいものだが、それはまた別の話。まずは腹の底から湧き上がる、悪心の如きクリエイティブさを慰めねば。
 そんなこんなで、次回からシモゴエの無教養記事『つくって魔具魔具』の開演である。良い子の皆はすぐに読むのを打ち切って、布団にくるまり震えて眠ろうね。良識のある大人の皆はこんなもの見ずにビジネス書の類を読んでね。

(文責・シモゴエ)

弊吹き溜まりにようこそ。

1.はじめに

 

 初めまして、坩堝シンジケートと申します。

 このように書くと苗字が坩堝で名前がシンジケートな個人にも見えますが、我々は集団です。と言っても、十人も二十人もいるような大所帯ではありません。メンバー三人の零細組織です。まかり間違っても少数精鋭ではありません。イナズマイレブン無印とかの、雷門中正門エリアあたりでサッカーバトルを仕掛けてくるクソザコチームとどっこいどっこいです。何なら三人なのでキーパーもいません。

 そんな弊吹き溜まりのメンバーですが、一寸の虫にも五分の魂ということで、それぞれ名前と人格があります。イナズマイレブン無印に出てくる千人以上のキャラクターに、それぞれニックネームとステータスと紹介文が割り振られているようにです。

 ということで、箸にも棒にもかからないメンバーを紹介するぜ。

 

2.メンバー

2.1.キキ

 

好きなもの          映画と音楽

性格                     躁鬱

プロフィール  

    こどもチャレンジを中退し、失意の中でダンゴムシの密猟に手を染めることもあったが、進道塾と出会って改心。一昨年はヒグマにも勝負を挑み、消化液と仲良くなった。  

 幼少期は地元の笛タンクチームに入っていたが、ここ最近になって自身を除くメンバー全員が監督のイマジナリーフレンドだと判明した。

 

2.2.フタバ

 

好きなもの          ゲーム

性格                     躁鬱

プロフィール 

 蝉の羽化に宇宙を見て以来、蛹を見つけては部屋に飾っている。彼の部屋の網戸には歴代の空蝉が鈴生りになっており、お盆になるとご先祖様の往来を阻害する。

 虫と仲良くなるため、ナウシカ普通免許を取ろうと奮闘しているが、毎回人物試験で落ちる。そのため、地球上での青い服の着用を認められておらず、コミケでアクア・サーファーのコスプレをした際にはSATを呼ばれた。

 

2.3.シモゴエ

 

好きなもの          小説

性格                     躁鬱

プロフィール     

  カルト信者の家庭に生まれ、教義の都合で物心つくまで自分を臼と馬糞のハーフだと思い込んでいた。その影響からか、現在でも週二回のペースでドライブレコーダーに憑依されている。

 主にこのブログの文章を担当。現実と妄想の区別がついておらず、近頃は夢日記をつけて炙って食べるを繰り返している。

 

3.坩堝シンジケートについて

 

 弊吹き溜まりが社会不適合者の巣窟ということが、そろそろ分かってもらえた頃と思います。しかし、ではそんなろくでなしが集まって何をするつもりかと言われますと、答えに窮してしまいます。だってそうでしょう。部屋の隅に転がる綿埃が、目的を持って集まっていますか。我々もそうなのです。我々もあの鼠色の綿埃と同じように、チリ芥の擬人化が不可思議な引力により絡まって、ほとんど事故の如く誕生してしまったのです。

 だから、弊吹き溜まりは何かをするために存在するのではありません。まず、存在するのです。存在してしまっているから、「折角だし何かやってみるか」と、重い腰を上げてブログを開設したのです。

 そんな無軌道極まる動機から産声を上げたブログですので、我々としても何をしでかすか分かりません。映画・ゲームの感想や、一次二次を問わないあらゆる創作、過ぎゆく日々に思うことなんかを書き殴るかもしれません。

 まだ何も決定されていない、一寸先に広がる闇のように不定形な存在が、我々なのです。もしも可能でしたら、そんなお先真っ暗な弊吹き溜まりが、一体全体どこに転がっていくのかを、このブログで見ていっていただければ幸いです。

 最後に、この坩堝シンジケートの名称の由来を書きます。それは、「メンバーの好きな単語をそのまま組み合わせた」というものです。成り立ちも無軌道なのだから、命名が無軌道になるのも当然のことと言えるでしょう。

 キキは好きな単語として、「シンジケート」を挙げました。フタバは「坩堝」を挙げました。シモゴエこと私は「愚鈍」を挙げました。こうして、三人の想いを乗せた「坩堝シンジケート」が形作られたのです。

 少し腑に落ちないことが出てきましたので、今回はこのあたりで記事を終えたいと思います。読んでいただきありがとうございました。